芥川城探訪

エッセイ・コラム

歴史探訪の会で高槻の芥川城址へ行った。城といっても天守が残っているわけではなく、土塁や堀切、曲輪、石垣の一部が残っているのみで、一見何の変哲もない里山の風情を漂わせている。

この城は芥川山城とも呼ばれたりするように、戦国時代の山城で、徳島出身の戦国大名で最初の天下人とも言われた三好長慶が、淀川対岸の飯森城へ移るまでの7年間(1553〜1560年)ここを本拠として居城した。かつての城の主郭は三好山という標高182.69メートルの山頂部に立地したという。高槻市営バスで終点(塚脇)まで行き、そこから山道に入る。そもそも築城したのは、室町幕府の管領で守護大名の細川高国。淀川右岸の山上に城を構え、淀川対岸のみならず大阪平野を望む立地は軍事的な要として重要であったに違いない。今もはるか遠くにあべのハルカスを認めることができる。平地からの城の眺めは威容を誇ったに違いない。にもかかわらず、上洛せずそこを拠点とした三好長慶は、さらに戦略的要地として好適な飯盛山へと拠点を移すのだが、その理由は飯盛城址へ登ってみればわかる。飯盛城からは、大阪平野を越えて六甲の山並みも見えるうえに京都の八幡からその向こうまで見えるのだ。

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