終活という言葉が大流行り。終活とは、遺された家族に負担をかけないよう、人生の終わりについて考える活動のことだそうだ。2009年に「週刊朝日」の連載記事のタイトル「現代終活事情」で初めて使用された造語という。
何歳から始めるものなのか、AIに聞いてみた。その答えは「終活に『何歳から始めなければならない』という決まりはありません。最も多いのは定年や退職を機にする60代ですが、判断力が十分で身軽な65歳頃から少しずつ始めるのが理想とされています」とのこと。本屋に行けば、終活本コーナーもあり、入門書から終活大全まで、親に終活して欲しいと言えない、子どものためのアドバイス本まである。
病気になってからでは遅い、元気なうちから始めよう、という前提なのだろうが、平均寿命が男性81.09歳、女性87.13歳である。たしかに健康寿命は男性72.5歳、女性75.4歳なので、私が元気だから言えることに違いないが、元気に生きるために必要なのは何か、を考える方がずっと建設的なのではないか、と思えてくる。
そのことに気づいたのは、80歳を超えた娘のお姑さんと話したことにある。彼女は夫を10数年前に亡くし、一人暮らしが長いが、「娘時代にやっていたバイオリンの稽古を始めたの」「スキーに誘われたから、若い時のことを思い出して行ったら楽しかった。滑るのは大丈夫だったけれど、転ぶと立ち上がるのは大変だった」「知り合いが飼えなくなった犬を引き取って、面倒を見ることにしたの」等々。会うごとに、昔やっていたことにチャレンジしていて、いつも楽しそうだ。
それに引き換え、彼女より何歳も若いのに、私自身は、以前は当たり前のようにやっていたことを、出来なくなったと諦めていることにハタと気付いた。若い頃は、お洒落のために洋裁を習い、裏付きのスーツだって縫っていたのに、今は簡単にできるホームドレス位しか作れなくなっている。料理だって、新しいものは作らず、慣れたものを繰り返しているばかりでレパートリーが少なくなった。外出しても階段は登らず、常にエスカレーターやエレベーターを探している。終活をしているわけでもないのに、年齢のせいにして、一事が万事、後退している現状に気がついた。
若い時も楽々やっていたわけではない。それなりに、努力も、工夫もしていたではないか。自分自身を活性化するために必要なのは、まずは昔できたことを諦めずにチャレンジすることなのではないか。そう思って意識を切り替えると、洋裁も、料理も、階段昇降も無理だと思っていたことが出来る自分がいる。新たなことにチャレンジするのと同じように、楽しく、活性化できることにも気づかされた。
終活は置いといて、今は、若いころの自分を取り戻すことにエネルギーを注いでみよう。年齢を重ねても、錆びない自分が発見できたら、次はドキドキするような、新しいことにもチャレンジしてみたいものだ。


